主の昇天 B年

第一朗読『使徒たちの宣教』

使徒言行録 1:1-11

イエスは、ご復活の後の四十日間、何度も弟子たちにあらわれて、ご自分の復活の出来事を弟子たちの心に刻まれました。しかし、イエスは地上での使命を終えられました。ご自分が去って、その代わりにもう一人の助け主、聖霊が来る(ヨハネ16:7)というのが神のご計画でした。そのためには、御父のもとにお帰りになることをはっきり示す場面を持って、イエスの地上での生活を閉じなければなりません。それはイエスのご昇天です。

イエスのご昇天を物質的に解決してはなりません。御父のおられる神の国はエルサレムの真上にあるというわけではないし、イエスが大気圏と成層圏を通り抜けて宇宙のかたなにある神の国に戻ったのでもありません。煙のように突然姿をかき消しては、イエスが御父のもとに戻ることを示すためには有効なしるしではありません。その意味を使徒たちにわかりやすく伝えるためには、やはり聖書に書いてある場面のように天に昇って行くのが一番良かったのです。ご昇天は、真の人間であり非常に苦しまれたイエスにとって、終わりのない幸福に入るというしるしになります(フィリピ2:8-11、ヘブライ2:9)。

イエスのご昇天は、私たちに永遠の幸福の命へのゆるぎない希望を与えます。教会の頭であるイエスは、すでに天におられるので、その後に続いてイエスの体の肢体である私たちも天に入るのです(ヨハネ14:2-3)。また、イエスは天において、世の終わりまで私たちのために大祭司として執り成しをしてくださいます(ヘブライ7:24-25)。

ご昇天は、復活の四十日目に行われましたから、今年の本当の記念日は5月14日になります。しかしながら、いろいろな国で(日本も)、そのような大切な祝いは平日に祝うのは難しいため、次の日曜日に祝います。

第二朗読『使徒パウロのエフェソの教会への手紙』

エフェソ 4:1-13

ご昇天の時にイエス様が受けた栄光は、キリストが自分を十字架の死まで下げた結果であり、また、ご昇天は私たちに与えてくださる恵みの泉であると、パウロはここに強調します。

私たちは、それぞれに違ったかたちの恵みをいただきますが、対立という意味ではなく、すべてキリストから来るのです。

福音朗読『マルコによる福音』

マルコ 16:15-20

マルコの福音書の終わりでは、簡単にご昇天のことを述べられ、キリストの最後の指示として「福音を述べ伝えなさい」と呼びかける場面があります。結局、キリストの使命の完成は、キリスト信者の行いによって実行されるはずです。

「父の右に座す」という信仰宣言の言葉は、聖書の言い方です(ローマ8:34、エフェソ1:20、ヘブライ1:3)。その意味は、イエスは人として御父のもとで、最高の権能と栄光を持ち、万物を治めるという意味です。王の右側は、王子と后が座る場所でしたので、その人間の習慣にたとえて、イエスの位を表そうとしている言い方です。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。