四旬節第2主日 A年

第一朗読『創世記』

創世記 12:1-4a

アブラハムは、神によって与えられた道に、何の保証もないまま自分をゆだねて旅立った人です。それは、キリストが生まれる1800年前ごろの出来事です。

神は、アブラハムの信仰と従順に、大きな報いを約束してくださいました。神は、わたしたちにも今、同じような約束をして下さいます。

第二朗読『使徒パウロのテモテへの手紙』

二テモテ 1:8b-10

パウロはテモテに、自分の苦しみをともに忍ぶように呼びかけます。熱心な四旬節を行っているなら、疲れて失望や誘惑を感じることは当然です。わたしたちも、四旬節のもたらす苦しみを忍びましょう。

「聖なる招きによって呼び出してくださった」とあります。それは、人生を自分のものと考えずに、神から呼び出され(与えられ)たものとして生きることで、神の「計画と恵み」であるとパウロは言います。わたしたちが救われるのは、自分たちの行いによるのではなく、神の恵みによるのです。

福音朗読『マタイによる福音』

マタイ 17:1-9

四旬節の第2主日には、毎年「キリストの変容」の箇所が読まれます。それは、四旬節の厳しさ(現代は厳しいと感じているでしょうか?)によって落胆しないように、永遠の幸せのことを思い出させて励ますためです。

福音書を見ると、変容の出来事の少し前に、キリストは初めてご自分の死と復活を予告されています。イエスの「死」だけにとらわれて非常に落胆している弟子たちを励ますために、イエスは弟子たちのリーダーだったペトロ、ヤコブ、ヨハネに、神が与えてくださる報いの片鱗を味わうようになさいました。

大事なことは、「ここにいるのは、すばらしいことです。」というペトロの言葉です。これだけで、完全に幸せであると感じていました。

言うまでもなく、御父のキリストに対する荘厳な「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という宣言も大事です。神の言葉は、イエスにこそ聞くようにと教えています。

「イエスは近づき」とありますが、マタイの福音書の中で、イエスが近づくと書かれている箇所がもうひとつあります。それは、復活のイエスが「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と約束して弟子たちを励まし、宣教へと派遣される場面です。

この四旬節が、一人ひとりのため、所属する教会のため、また全世界の教会のために恵みの季節となりますようにと祈り合いましょう。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

主の変容
The transfiguration
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。