ミサ朗読について
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
ヨセフの部族、すなわち北イスラエル王国の人々の苦しみに対して、支配者の人々は無関心で贅沢な生活をしていました。
神は、その罪の罰として、彼らが囚人になると宣言されます。
「信仰の戦いを立派に戦い抜」くようにと、テモテへのパウロの励ましの手紙を通して、神は今、この聖書の朗読を聴くわたしたち一人ひとりに語ってくださいます。
今日の御ミサのいろいろなメッセージの中で、繰り返えされて言われているのは、他人に対する冷たい心の罪です。
その罪に対して、神のとがめを受けるようなことが、わたしたちにもありはしないか反省して、他の人に対して温かい心を持つことができるように、切に願いましょう。
今回の福音朗読は、たとえ話ですから、来世の善人と悪人の具体的な状態を教えているのではありません。たとえば、悪人が善人の幸せを見る、また、話し合うことができるということではありません。ここで教えたいのは、悪人、とくに憐れむ心がない人に対する来世の罰ということです。
けれども、いつものように、たとえ話の最後の言葉が、だいたい教えをまとめています。ここでは、心が良くないときに奇跡を見ても回心しないということです。
奇跡を見たら、自動的に必ず回心するわけではないことは、もうひとりのラザロ(マルタとマリアの兄弟)の復活の時(ヨハネ11:47-53)に明らかになります。祭司長たちは奇跡を認めましたが、その時に決心したのは、キリストを信じることどころか、キリストを殺すということでした。
(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)
書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父
書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父
毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。