年間第22主日 B年

第一朗読『申命記』

申命記 4:1-2、6-8

神の掟が、どれほど素晴らしいかをモーセが教えます。 神の掟とは、単なる規制ではありませんから、私たちのための障害物競走のように考えてはいけません。私たちにとって悪であるからこそ、神が禁じているのです。

第二朗読『使徒ヤコブの手紙』

ヤコブ 1:17-18、21b-22、27

使徒ヤコブは、自分の手紙の中で、常に、愛の実行のことを強調します。 今回の朗読では、この時代の社会で弱い立場になっている「みなしご」や「やもめ」に対する愛を例としてあげます。私たちの社会で弱い立場になっている人が誰かを考えましょう。

福音朗読『マルコによる福音』

マルコ 7:1-8、14-15、21-23

ユダヤ人、特にファリサイ人は、聖書(トーラー、Torah)以外に、他の事を聖書と同じように重大なものであると思っていました。それは、ミシュナ(Mishnah)と呼ばれ、その内容は、いろいろな具体的な事例についてのラビ(先生)たちの意見をまとめたもので、キリストの時代には、まだ言葉だけで伝えられていて書物になっていませんでした。もうひとつは、タルムード(Talmud)で、ミシュナについてのラビたちの意見です。ミシュナは書かれた時に6つの内容でまとめられ、カレンダーと祭りについて、土曜日の安息について、手を洗うことについてなどがあります。その手洗いについて、どのようにしなければならないか、600ほどの意見が書いてあります。これが「人間の言い伝え」です。

キリストがおっしゃったように、このファリサイ人は、祖先(ラビたち)の伝統のことを神の言葉よりも重んじていたし、聖書の主要なこと(憐れみ・正義)についてではなく、外面的なことについてばかり強調して意見を交わしていました。

あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。

マルコ 7:8

あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。

マタイ 15:6

手を洗うことについて注意すべきですが、少しも衛生と関係のあることではありませんでした。それは単なる儀式で、汚い水を使っても問題がなく、ただ、その600の意見を大事にしなければなりませんでした。

私たち現代人は、このことが関係ないと思ってはいけません。教会の中でいろいろな儀式と伝統があります。けれどもそれは全部、神と隣人への愛を実行するためであります。これが一番大切なことであり、他のことは、それを実行するための助けと導きです。しかし、ある方は、この二つのことの間には、いつも対立があると言います。もし、両方とも正しい解釈をしたら、少しも対立は無く、教会の中の習慣と儀式と掟は、愛を実行するための助けと導きになるはずです。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。