年間第21主日 B年

第一朗読『ヨシュア記』

ヨシュア 24:1-2a、15-17、18b

今日の福音朗読では、難しい時でもついていくペトロのような弟子と、ひどい話と言って離れる弟子の態度があります。同じように、第一朗読でも二つの態度があらわれます。ヨシュアはイスラエル人に、神に忠実に従う態度とそうではない態度を選ぶように呼びかけます。
私たちは、毎日の生活の中で、時々その選択をしなければならない時があります。

第二朗読『使徒パウロのエフェソの教会への手紙』

エフェソ 5:21-32

年間第17主日から御ミサの第二朗読で聞いている、エフェソの教会への手紙の続きです。
「従う」という言葉に反発する信者もいます。しかしながら、キリストのように妻を愛する夫に従うと考えれば、少しも難しいことはではないと思われます。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 6:60-69

年間第17主日から続く「命のパン(ご聖体)の説教」の終わりにきました。キリストのありがたい言葉に対する2つのまったく違う態度があらわれます。ひとつは、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」という不信仰です。それに対して素晴らしい信仰、その中心を見事に表すペトロの言葉です。ペトロは信じない人と同じように、キリストの言葉の意味はわかっていません。(「最後の晩餐」の時にわかるだろう)でも、「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と、キリストに信頼します。つまり、あなたの言葉はわかりませんが、けれどもその言葉が「永遠の命の言葉」であると信じます。いろいろなことの説明はしないけれど、私たちが御ミサの時にペトロの言葉を繰り返しますから、口先だけではなく心から言えるように祈りましょう。

【注意】63節の意味は、『聖書と典礼』の下段注釈が良く説明されています。他の聖書のところでも良く出てきますが、「霊」と「肉」の対比で使われる「肉」(=滅びゆく役に立たない肉)をキリストが「自分の肉」(ご聖体)とおっしゃったわけではありません。また、たとえばマタイによる福音書16章17節に出てくる「人間」は、原文では「血と肉」になっています。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。