年間第20主日 B年

第一朗読『箴言』

箴言 9:1-6

旧約聖書の『知恵の書』に、神は度々知恵(限りない永遠の知恵)と呼ばれます。今日のところは、いろいろなたとえで、この知恵を受け入れる人にどういう恵みを与えてくださるか述べられています。その中に、食卓を整えることのたとえがあります。それは、特に聖体拝領の霊的な食事によって実現されます。

第二朗読『使徒パウロのエフェソの教会への手紙』

エフェソ 5:15-20

面白く意味深い話です。私たちは買物をするときに、よく見比べて考えます。同じように、霊的な生活もよく考えなければなりません。

私たちがミサの中で行っているように、詩編と賛歌と霊的な歌を歌うことをパウロは勧めます。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 6:51-58

年間第17主日から続く「命のパン(ご聖体)の説教」の頂点です。主イエスは、ずっとご自分に対する信頼を要求してきました。ご自分が単なる律法の先生(ラビ)ではなく、また、「天から降って来た」ことだけでなく、ご自分の肉を食べなければならないとおっしゃいます。人を喰うということだけを想像するユダヤ人たちの驚きと反発に対して、イエス様は言葉を取り消したり表現を和らげたりしないばかりか、単なるしるしやたとえだということを言わずに、かえってもう一度同じことを繰り返して、そのうえご自分の血を飲まなければならないと加えます。ユダヤ人たちにとって動物の血さえも飲むのは禁じられていたし、非常に嫌がっていました。なおさら、キリストの血を飲むことには抵抗がありました。また、人間にとってもっとわからないこと「わたしを食べる者」とおっしゃいます。

結局キリストは、真の信仰、教えがわかるから理解するのではなく、教えがいくらわかりにくくてもキリストの教えであるから、また、キリストに信頼するから、受け入れると言う信仰を求めていらっしゃいます。来週の福音書の中で、ペトロのそのような信仰宣言を聞きましょう。

「ご聖体」または「聖餐式」を単なるしるしだと思うのは、福音書の言葉から本当に難しいことです。イエス様が単なるしるしであると言ったとすれば、ユダヤ人の当たり前の反発を避けられたでしょう。けれども、何回も言わなければならないように、私たちの信仰は(ご聖体の場合だけではなく)、わかるから信じるというわけではなく、キリストに信頼するから信じるという信仰です。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。