復活節第2主日 B年(2018.4.8)

第一朗読『使徒たちの宣教』

使徒言行録 4:32-35

旧約預言(申命記15:4)の成就と見られる、最初の教会の理想的な財産共有生活が描かれています。ユダヤ教の伝統にもヘレニズム世界にもその理念はありました。しかし、ここでの財産共有は、強制されていない自発的な共有であって、必要な財産を手元に残すことは許されていました(使徒言行録5:4)。

自由なのに、模範的で理想的な財産共有社会が実現したのには、2つの理由があります。まず、イエスの復活は、弟子たちの生き方を根本的に変えた出来事であり、そのことを証しするという強い使命感があったため、生きる上で大切にすることの優先順位も変わり、利己心や財産への執着心が弱まったのです。

そして、もうひとつは、神の恵みが人間を変える力を持っているからです。新共同訳で「人々から非常に好意を持たれていた」と訳されている箇所は、新改訳などでは「大きな恵みがそのすべての者の上にあった」と訳されています。

第二朗読『使徒ヨハネの手紙』

一ヨハネ 5:1-6

神の掟とは、「神の子イエス・キリストの名を信じ、...互いに愛し合うこと」(1ヨハネ3:23)です。イエスはメシアだと「信じる」とき、神から生まれた者となり、父である神を愛するだけでなく、同じ父を持つ兄弟として、互いに愛し合うことができます。

ヨハネにとって「世(悪)」とは、神を否定し、教会に敵対する力、打ち勝たなければならない誘惑のことです(1ヨハネ4:1-6)。聖書では、「天」に対する「地」を特に「世」と呼びますが、聖書が述べる「世」は、地上から神を追い出し、人間だけの場とするときに現出します。いろいろな悪の力が世に働いていますが、イエスを信じるものが「世に打ち勝つ」のは、イエスが復活し、世に打ち勝ったからです。

活動の出発である「水(洗礼)」のときから、地上の生涯を閉じる「血(十字架)」に至るまで、イエスはメシアでした。そのことを証しするのは「霊」ですから、聖霊の働きに心が開かれていなければ、キリストを信じることはできません。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 20:19-31

イエスの復活は、集団と個人を変える出来事です。 弟子たちへの顕現は、二度とも同じパターンで描かれ、日付、戸に鍵をかけていたこと、「あなたがたに平和があるように」という挨拶、最後にイエスの指示があります。

一回目の指示は、「わたしもあなたがたを遣わす」と、罪を赦すために「聖霊を受けなさい」です。人が他人を赦すことは極めて困難なことで、人を変える力を持つ神からの息吹(聖霊)を受けることによって実行可能になりますから、その赦しは神による赦しとなります。

二回目は、慈しみに包まれたトマスへの指示ですが、「手を見なさい」「わき腹に入れなさい」をいう招きを実行することなく、トマスは「わたしの主、わたしの神よ」(詩編35:23)と答えました。「信じる」ということにとって、見たかどうかは大切なことではありません。見ても信じないことはありますから、むしろ、心で神のみことばを「聞く」ことが大切なのです。

復活の主に出会うトマス
Jesus childing Thomas for his unbelief
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。