主の降誕(2016.12.25)

第一朗読『イザヤの預言』

イザヤ 52:7-10

預言者イザヤは、「良い知らせ」を予告します。それは、キリストの御降誕の意味ですので、こころの底まで、その喜びと平和がしみ込むように祈りましょう。

第二朗読『ヘブライ人への手紙』

ヘブライ 1:1-6

ヘブライ人への手紙は、神である父が、預言者をとおして語っただけではなく、神の子によってわたしたちに語ってくださった事が、どれほどありがたい恵みであるかを理解するように呼びかけます。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 1:1-18、または 1:1-5、9-14

主の降誕は、夜半のミサで荘厳にキリストの誕生を祝います。日中のミサは、夜半のミサに来られなかった方、またもう一度その大祝日を祝いたい方とともに祝いましょう。

人数の少ない場合は、全世界で数えられないほど多くの人々が今、わたしたちとともに同じことばをもって祈っていることを実感しながら、こころをひとつにしてキリストをほめたたえ、御父に限りない価値の奉献をささげましょう。

福音朗読は、神の子が人間になるという驚くべき意味について、キリスト信者が歌っていたらしい歌を引用して、受肉のありがたさを訴えます。

注目すべきことは、ヨハネがこの箇所で、イエスを「言(ことば)」と呼んでいることです。その「言」とわたしたちとの関係をあらわすために、ヨハネは意味深いたとえとして「命」と「光」という言葉を使います。わたしたちの希望を満たすあらゆる恵みは、神のことばのうちにあったということです。

そして、「輝いている」だけ現在進行形になっています。神は、御子をとおして、その恵みを、わたしたちに今も与えようとしておられるのです。「初め」というのは、すべてに先立ってという意味で、わたしたちが神について学ぶ前、努力する前、善い行いをする前に、神の恵みはあるのです。

しかし、人々はその神のご計画に背きます。すべての人を照らす光が世に来たのに、人々は光を受け入れなかったのです。けれども、「言」は、自分を受け入れた人、自分を信じる人々には、神の子となることを許されました。

弱い人間(肉)となって宿られ、変容と復活の時にわたしたちは栄光を見ました。律法は、モーセを通して与えられましたが、律法よりずっと優れている恵みと真理は、イエス・キリストを通してあらわれたのです。

ヨハネはここで、「言」とイエス・キリストは同じであると、はっきり示します。イエスは、神がどのような方であるかを完全に知らせるために、この世に来られたのです。

この驚きと喜びが満ちあふれる聖書箇所を、何回も読み味わうべきです。ある意味で、全福音書のまとめとも言えるでしょう。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

主の降誕
The shepherds finding the infant Christ lying in a manger
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。