ミサ朗読について
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
今回の福音朗読のテーマを簡単に知らせる内容で、人々に対して謙遜が役に立つように、なおさら神に対してへりくだることが必要であると教えます。
旧約聖書にある「箴言」「ヨブ記」「コヘレトの言葉」「知恵の書」「シラ書(集会の書)」は知恵文学と呼ばれ、「知恵」とは、神の御心にかなう生き方を知る「知恵」という意味になります。現代社会で使っているような、単なる学問的知識や頭の良さという意味ではありません。
シナイ山の時(出エジプト19:16-19)に、神はイスラエルの人々が恐れるほど、ご自分の偉大さをあらわしてくださいました。けれども、新約の時代には、イエスがもたらしてくださった、もっと素晴らしい方法になります。神のみことばは、いろいろなたとえによって、わたしたちに教えてくださいます。
ここに書いてあるように、洗礼の恵みを保っている限り、わたしたちが近づいているものは、天国そのもの(=シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム)、天におられる聖人たち(=天に登録されている長子たちの集会)、神ご自身(=すべての人の審判者である神)、キリスト(=新しい契約の仲介者イエス)であるはずです。わたしたちは時々、この信仰を思い起こすべきです。
他の場合と同じように、人間的な常識から出発して、超自然的な信仰に基づく態度について語られています。自分の身分以上の席に座ってはいけないという常識の話から、もっと深い意味で、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は(神によって)高められる。」という、神との関係についての話が語られます。
上席を選ぶ人とは、自分は善い行いをしているのだから救われて当然と思っている人です。末席に行く人とは、自分の罪深さを知り、神のいつくしみなしには救われないと認めている謙遜な人です。
その次の文章は、結局、「お返し」を求めてするのではなく、神からだけの報いを望みなさいという意味になります。
毎日曜日、御ミサが始まる時には、謙遜な心をもってそれを捧げることができるように回心を唱えます。今回の第一朗読と福音朗読は、その必要性を教えます。その回心は口先ではなく、実際に心の深い態度になるように反省し、そのまことの謙遜を祈り求めましょう。
(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)
書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父
書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父
毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。