年間第21主日 C年

第一朗読『イザヤの預言』

イザヤ 66:18-21

遠い国々の人々も、神の聖なる山(すなわち教会)に入るだろうと言う預言を聞きながら、わたしたちはその実現を悟り、神に感謝いたしましょう。

第二朗読『ヘブライ人への手紙』

ヘブライ 12:5-7、11-13

今回の福音朗読は厳しいことを含みますので、第二朗読がその準備になります。

主の「鍛練」と「懲らしめ」を無視してはいけないし、実際に愛のしるしであることをヘブライ人への手紙は教えてくださいます。

福音朗読『ルカによる福音』

ルカ 13:22-30

この箇所で、イエスがどのようにお答えになったか、たびたび自分の偏見によって無視することがあります。

たとえば、18世紀の有名な説教家は「救われる人は少ない」ということを主張しました。しかし、もしそうなら、ここでイエスは「救われる者は少ないのでしょうか」と聞かれたときに、「はい、そうです。」とお答えになったはずです。けれども、そういうふうにはお答えになりませんでした。

また、21世紀の現代でも、別の意味で無視する人が多いです。イエスは、「入ろうとしても入れない人が多い」と答えたのに、地獄がないとか空っぽであるとか、そのようなことでキリストの言葉に平気で反対します。(新約聖書には少なくとも地獄について20回出てきます)
結局、イエスが主張なさったことは、救われない危険があるので、救われるために努力しなければならないといことです。「狭い戸口」を通るために、一生懸命に努めなければなりません。

確かに、地獄への恐れをキリスト信者の生活の中心にすることは間違いです。あくまでも中心は、神への愛です。けれども、聖イグナチオが書いたように、この愛が足りないならば、少なくとも、救われないという恐れによって罪を犯さないようにすることは、良いことです。

神の望みは、すべての人々が救われるということです。しかし、実際に救われるためには、神への人間の協力が必要なのです。けれども、イエス様がおっしゃったとおり、人々はその協力をしません。「あなたが何もせずに、神はあなたに命を与えてくださいました。けれども、あなたが何もしないなら、神は救いを与えません。」

神は愛であり憐み深いということ一番よく分かっていた聖人たちは、地獄の存在について、また、大勢の人が救われないという事実について、少しも信じにくいと感じませんでした。ですから対立はありません。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

主の変容と最後の晩餐
Floreffe Bible
フロレッフの聖書 (12世紀)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。