ミサ朗読について
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
ダビデが、神の箱(十戒が刻まれた石板を収めた契約の箱)のために神殿を建てようと思ったのは、敬虔な心からというより、王政を定着させる手段だったと考えられます。
紀元前11世紀末、エジプトの衰退に乗じてパレスチナの覇権を握ろうとするペリシテに対し、イスラエルの人々は王政を求めましたが、国内には神こそ王とする伝統的な価値観も強くあり、民に信頼されていた預言者サムエルの目にも王政は悪いこととして映ります。しかし、神は「今は彼らの声に従いなさい」(サムエル上8:9)と祈り中でサムエルを慰め諭されました。神の「秘められた計画」は、人間の知恵を超えていますから、失敗によって人間が自らの無力さを知り、神からの力の必要性を強く自覚してからでなければ理解できないのです。
初代イスラエル王サウルの死後、ダビデがエルサレムを首都として全イスラエルの王となりますが、まだ王政に対する違和感は強く、ダビデの子ソロモンの時代になってようやく神殿は建てられることになりました。しかし、ダビデが、神に住むべき家(神殿)を建てようと考えたとき、神こそが「あなたのために家を興す...あなたの家、あなたの王国は...とこしえに続き」と逆に告げられています(「ダビデ契約」)。この永続性の保証によって、ダビデの家系から理想の王(メシア)が出て、イスラエルに救いと繁栄をもたらすと考えられるようになり、人々の希望となっていきます。けれども、その約束は、人間の考えを超えた形で実現されるものでした。
イエスに与えられた地上での玉座は、人間の思いつくような金銀で覆われた玉座ではなく、十字架だったのです。しかし、他のどの玉座よりも大きな恵みをもたらしました。隠されていた神の救いの計画です。今や神の「秘められた計画」はあらわされ、信じるものを強める福音となりました。このような神の力によって、わたしたちは回心へと、死から復活へと招かれるのです。
第一朗読で、神がダビデに約束されたことは、マリアによって具体化され、ダビデの子孫イエスをとおして実現されることになります。
マリアも、人間の知恵を超えた神の「秘められた計画」を、すぐには理解できずに戸惑います。人間的な可能性にしばられている限り、承諾することはできません。しかし、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。...神にできないことは何一つない」という言葉に心を向けることによって、神の力への信頼は呼び起こされ、マリアの心は戸惑いから承諾へと変わりました。そして、メシア(油を注がれた者=王)を遣わす神の救いの業への参与を承諾します。
こうして、神の「秘められた計画」が明らかになりました。神の支配は、かつての王のように自分のために人々を圧迫する支配ではなく、自ら十字架を背負うことによって人々を罪から解放する支配です。
書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父
書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父
毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。