復活節第6主日 A年

第一朗読『使徒たちの宣教』

使徒言行録 8:5-8、14-17

ステファノの殉教に続いて教会に対する大迫害が起こり、使徒たちは地方に散って、フィリポはサマリアに下り、そこでキリストを宣べ伝えることになります。それは、教会がエルサレムから始まり「地の果てに至るまで」(使徒言行録1:8)発展する過程のひとつになりました。

聖霊こそ、教会を動かす力です。わたしたちも、聖霊を受けるように祈りましょう。

第二朗読『使徒ペトロの手紙』

一ペトロ 3:15-18

わたしたちがいつも準備しておかなければならないことです。実際にそうしているか、この朗読を聞きながら、ゆっくりと深く省みてみましょう。

「心の中で」とありますが、内面に本心を隠して信仰をもち続けなさいという意味ではありません。いつでも、キリストこそが主であるとあらわせるように備えることです。すなわち、神の御心をあらわしたキリストを中心として生きることです。つまり、生命の中心である心で、キリストを主としてあがめ、キリストに望みを合わせ、キリストにならった言葉と行動をもって生きるようになることです。そのためには、いつも聖霊を祈り求め、聖霊を迎え入れる準備をしていることが大切なのです。

一般的に、苦しみは無いに越したことはありませんが、「神の御心」に適うことだという意味を見いだせる、担うべき苦しみもあります。キリストはご自分の罪のためではなく、人の罪のために苦しまれましたが、それは人々を「神のもとへ導くため」でした。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 14:15-21

イエスが父のもとに帰られると知った弟子たちは、寂しさばかりでなく、この世でイエス無しにどう生きたら良いかという恐れも抱いています。そんな弟子たちに、イエスは子を残して去る親のように語りかけ、「みなしごにはしておかない」と約束します。

イエスの「掟」とは、「互いに愛し合いなさい」です。それは、御父がイエスに託されたことであり、イエスが全生涯をかけて示された愛の中で互いに愛し合うという教えです。掟を守り実行できるのは、掟を与える者の愛を知り、掟を与えるものを愛しているときですから、愛は掟を実行する原動力でもあります。イエスを愛しているからこそ、イエスへの信仰にとどまり、イエスの言葉を守り、イエスにならって行動できるのです。

「別の弁護者」とは、真理に導く聖霊(真理の霊)です。今回の朗読箇所の少し後には、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:26)とも書かれています。

また、イエス自身も、わたしたちの内に生きてともにいてくださいます。わたしたちは、生きてともにいてくださるイエスによって、「父と子」の深い交わりに招き入れられながら、真に生きる者となるのです。神のみことばに心を開いて、その恵みを求めましょう。

最後の晩餐
Jesus breaking bread and giving his disciples the cup
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。