年間第6主日 A年

第一朗読『シラ書』

シラ 15:15-20

人間には、自由意志が与えられています。善も悪も選ぶことが出来る、選びの自由です。それは、何に従って生きるのかを決める自由です。そして、神は、わたしたち人間に、自由意志による協力を求めておられます。

掟を守ることは不可能ではなく、わたしたちは守ることが出来るという信頼を、神はこの朗読を通して、わたしたち一人ひとりに伝えて下さいます。

第二朗読『使徒パウロのコリントの教会への手紙』

一コリント 2:6-10

パウロは、十字架のキリストにあらわされた「神の知恵」を宣べ伝えます。

「この世の知恵」とは、人間の知恵や知識のことです。この世の支配者たちは、「神の知恵」を理解せずに、イエスを十字架につけました。

「神の知恵」は、神がわたしたちに示してくださったものです。それは、非常に高い知恵ですから、信仰によってだけ、それを悟ることができるのです。その信仰を、ごミサの間に、また、いつでも求めましょう。

福音朗読『マタイによる福音』

マタイ 5:17-37 または 5:20-22a、27-28、33-34a、37

イエスは、本来の精神が忘れられて、形ばかりのものになってしまった「律法」を、「廃止するためではなく、完成するため」に来たとおっしゃいます。「完成」と言っても、律法を文字通りに守るということではなく、律法全体は"神と隣人への愛" (マタイ22:37-40)でまとめられると、本来の意味に目を向けるように導き、より完全に守る道を示されたのです。

わたしたちキリスト信者は、このイエスの教えの立場から十戒を守らなければなりません。イエスが望まれるのは、形式ではなく「心」です。つまり、神との関係を大切にする姿勢です。わたしたちが生きる上での根本的な姿勢が問われているのです。

また、イエスは「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」(出エジプト20:7)だけでなく、(自分の主張を他人に信じてもらうために、神に対して)「一切誓いを立ててはならない。」と言われます。まず、完全な信頼関係があるところに「誓い」は必要ありません。また、神を引き合いにして誓うことは、神を利用することになります。そして、将来が自分の思い通りになると考えるのは、自分を神の上に置き、神を言いなりにして将来を自分の望む通りにさせようとする傲慢な心です。わたしたちは、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26:39、マルコ14:36,ルカ22:42)というキリストの模範に従って、神の愛にわたしたちの望みを委ねなければなりません。

今回のごミサの中心は、キリストがもたらした、より完全な掟です。それらは、天の国への道です。その掟の素晴らしい意味を理解するように、また、守るための勇気を、キリストを通していただくことができるように、御ミサの間に祈り求めましょう。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

キリストの変容
Paris psaulter gr139 fol435v
Fra' Angelico (circa 1437-1446)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。