年間第2主日 A年

第一朗読『イザヤの預言』

イザヤ 49:3、5-6

今回の朗読箇所は、「主のしもべの歌」の第二の歌です。第一の歌(イザヤ42:1-3)での「しもべ(僕)」は「イスラエルの民」ですが、この第二の歌での「しもべ」はイザヤ自身で、しもべ自らの使命を述べていると考えられています。

また、ヤコブがイスラエルという名をもらったので(創世記32:29)、ここではどちらも「イスラエルの民」のことを指しています。

第二朗読『使徒パウロのコリントの教会への手紙』

一コリント 1:1-3

すべてのキリスト者(わたしたち)は「召された者」、つまり神に呼ばれた者です。ですから教会は、神の御心を行うために呼び出され、神のものとされた人々の集まりです。

今回の朗読箇所の少し後で、「ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」(1コリント1:24)と書かれていますが、神の働きかけによって召された(呼ばれた)、人種や国を超えた集まりです。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 1:29-34

神の独り子は、まことの人間になりました。罪人を救うために罪人になることはできませんが、罪人の代表者となり、罪人のありさまになってあらわれて、洗礼者ヨハネによる洗礼をお受けになります。

「わたしよりも先におられた」というのは、時間的な早さを超えた決定的な違いをあらわしています。ヨハネの福音書は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ1:1)という、イエスを「言(ことば)」と呼んだ文章からはじまっています。

イエスを「知らなかった(交わりのなかった)」洗礼者ヨハネは、イエスに出会うことで自分の役割を理解し、イエスこそ自分が予告していた方だと悟ります。自分の体験に働いていた神の導きを、神が解き明かしてくださって、イエスが「神の子」であるという信仰告白に至り、その最初の証人(あかしびと)となったのです。

わたしたちには、どんな体験があったでしょうか。どんな神の導きが働いていたでしょうか。

今回のミサで、わたしたちの洗礼の恵みについて反省し感謝しましょう。そして、わたしたちも、洗礼者ヨハネのように、キリストを証しすることができるよう祈りましょう。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

イエスの洗礼
Christ baptised by John the Baptist
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。