復活節第4主日 B年(2018.4.22)

第一朗読『使徒たちの宣教』

使徒言行録 4:8-12

ユダヤ教の指導者たちに「何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」(使徒言行録4:7)と尋問を受けたペトロの証言の箇所です。足の不自由な人をいやしたペトロは、集まってきた人々にイエスの出来事の意義を説き、逮捕されていました。

聖書おける名前は、単に呼び名であるだけでなく、その名で表されたものの特徴や本質を示すしるしです。「キリスト」は、ヘブライ語の「メシア」で、「油を注がれた者」という意味です。旧約聖書では、王や祭司、預言者に対して用いられ、その後、民を圧政から解放する「救い主」を表すようになりました。

復活のイエスに出会った使徒たちは、イエスこそ神の子であり、「キリスト」であると確信し、救い主イエスという信仰告白の意味で「イエス・キリスト」という名を使いました。人々が捨てて十字架につけたのに、神が復活させたということが特徴であり、その名に本質が表されています。わたしたちは、この名によって洗礼を受け、この名による救いにあずかっているのです。

第二朗読『使徒ヨハネの手紙』

一ヨハネ 3:1-2

ヨハネの共同体の中に、イエス・キリストが肉となってこられたことを否定し、自分たちは霊的な存在で罪を犯したことがないと主張する異端的な人たちがあらわれ、共同体から分裂して離れました(1ヨハネ2:19)。同じ洗礼を受け、同じパンを分かち合っていながら、自ら去って行った人たちがいたことに動揺する人々を励ます内容で、正しい教えにとどまるようにと訴えています。

わたしたちは、十字架のあがないを信じることによって既に救われ、永遠の命にあずかる「神の子」とされているのですが、さらに御子が現れる終末のときには、その救いが完成して「御子に似た者となる」のです。それは、同じものでありながら有様が違う状態、つぼみと満開になった花のような違いです。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 10:11-18

この朗読箇所には、「命を捨てる」という表現、直訳では「命を置く」が、5回も使われています。新約聖書では、ヨハネ文書(ヨハネ福音書とヨハネの手紙)のみに、11回ほど使われています。紀元前2世紀ごろギリシア語に訳された旧約聖書の七十人訳では、「命がけ、危険を冒す」の意味で使われていますが、ヨハネは、さらに「命を献げる」意味も含めて使っています。

良い羊飼いは、命を粗末にするのではありません。イエスは、命を危険にさらすのではなく、羊の群れのために自らすすんで差し出すのです。イエスの死と復活の後、「この囲いに入っていないほかの羊」も「良い羊飼い」の導きのもとに入ります。

「命を捨てる」振る舞いができる根拠は、「知る」ことにあります。ここでの「知る」は、深い交わり、「愛する」と同じ意味だと言えますが、わたしたちとイエスとの間にある「知る」は、イエスと御父との間に見られる相互的な「知る」と同質だと説かれています。「命を捨てる」ことが御父の意思であり、罪人を無償で赦そうとする神の思いを実現するために、イエスは命を十字架の上に置くのです。

良い羊飼い
Good Shepherd
Christian catacomb of Domitilla (200-300)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。