待降節第3主日 B年(2017.12.17)

第一朗読『イザヤの預言』

イザヤ 61:1-2a、10-11

イザヤ61章1-2節は、ナザレに帰ったイエスが会堂で朗読し「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)と宣言された箇所で、この預言は、イエスによって完全な形で成就され、素晴らしい恵みをもたらしました。

けれども、当時は、イザヤ自身の召命を描いたものです。約束されていた栄光はあらわれそうもないため、人々は失望し神への信頼を弱めました。そして、自分の願望を優先させて利益を求め、他人を押しのけるように競争し、勝者に踏み台にされた「貧しい人」が、心を「打ち砕かれ」る状況が生まれます。そのような人たちに「良い知らせ」を伝えるために、イザヤは遣わされました。

預言者の使命は、神の思いを「証し」することにあるのです。

第二朗読『使徒パウロのテサロニケの教会への手紙』

一テサロニケ 5:16-24

わたしたちが、どんな状況に置かれても、常に喜び、祈り、感謝して生きる姿を通して、世の人々は、神の支えの確かさを知ることができます。そのようにして、イエスが証しした神を証しするのです。

時々、難しいことですが、神の助けによって愛が喜びの姿としてあらわれるために、神から受けた「"霊"(聖霊)の火」を消さないことが不可欠なのです。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 1:6-8、19-28

ヨハネ福音書1章1-18節は、福音書が書かれる前から存在していた「ロゴス賛歌」で、6-8節と15節は、福音記者ヨハネによって書き加えられたと考えられています。神は、旧約時代には預言者を通して、新約という終わりの時代にはイエスを通して、ご自身を「証し」されたので、洗礼者ヨハネは旧約最後の預言者と言われます。(マタイ11:13)

イエスは、御父(神)のもとで見聞きしたことを「証し」(ヨハネ3:11)する、「誠実で真実な証人」(黙示録3:14)です。洗礼者ヨハネは、まだ会ったことのないイエス(光、わたしの後から来られる方)について「証し」しますが、それは、自分が目にしたイエスの人柄や振る舞いではなく、自分を遣わした「神」によって教えられたことです。

「あなたがたの知らない方」とは、人間的な経験を超えた人物、つまりメシアをあらわしています。洗礼者ヨハネは、キリスト(メシア)が、既に普通の人として皆の中におられることを告げています。マリアの胎内にいるとき、ナザレで過ごされた30年間にも人々は気付きませんでしたが、今も、御ミサにおける現存、ご聖体のうちに、また、とくに貧しい人の中にいらっしゃることに気付けない危険があります。

イエスが行った御父についての「証し」は福音です。そして、「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる」(マタイ24:14)のです。福音を伝えることは、何よりも喜びです。しかし、イエス自身が拒絶されたように、宣教者も迫害にさらされたため、「証し」という言葉「マルテュリオン」は、殉教を意味するようになりました。

主の洗礼
Christ baptised by John the Baptist - William Brassey Hole
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。