年間第17主日 A年(2017.7.30)

第一朗読『列王記』

列王記上 3:5、7-12

ソロモンは、まず慈しみの過去に触れ、課題を抱える現在を語り、自分の益は求めず、神の民の未来のために「聞き分ける心」を求めます。このように祈ることができるのは、いつも神と向かい合って生きているからです。過去も、その時点では課題を抱えた現在でしたが、祈りのうちに振り返るとき、慈しみの過去になっていることを確信できるのです。

聞くことに徹して「聞き分ける心」に集中するとき、「知恵に満ちた賢明な心」、すなわち「豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心」(列王記上5:9)が授けられ、比類のない才能(列王記上5:12-13)をもたらします。

第二朗読『使徒パウロのローマの教会への手紙』

ローマ 8:28-30

「万事が益となるように」は直訳で「善いこと(=救いの計画)のために」となります。「前もって知って」おられる神から始まる「救いの計画」は、わたしたちを「御子(キリスト)の姿に似たもの」にするためのものです。未完成ではありますが、キリストを長子として既に始まっています。計画完成のために万事が共に働くことを知る者は、うめきながらも希望をもつことができるのです。

福音朗読『マタイによる福音』

マタイ 13:44-52、または 13:44-46

直訳すると「(畑を)買う」は現在形の動詞で、「(真珠を)買う」は過去形の動詞ですが、偶然であれ探し求めた結果であれ、過去であれ現在であれ、「天の国」とは、持ち物すべてを売ってでも手に入れたいと願うほど貴重で、喜びをもたらすものなのです。畑を買った人も、真珠を買った商人も、その価値を知り、獲得するためにはどんな犠牲も払うという強い意志を持っています。

注意してほしいのは、このたとえ話に出てくる人々の行動が正しいかどうかに、イエスがまったく触れていないことです。イエスが教えたかったのは、神が与えてくださる新しい命、福音がもたらす恵みと幸せは、わたしたちが払う犠牲とは比べものにならないほどの素晴らしい大きな恵みということであり、聞いている人々が分かりやすいように具体的に話されたにすぎません。

「悪い者ども」の「悪さ」は、人が持ち物すべてを売り払ってでも手に入れたいと望むほど貴重な「天の国」に気付かない鈍感さのことです。人々を取り巻く日々のあらゆる出来事にあらわれている神の働き、つまり「天の国」に気づかない「悪い者ども」は、世の終わりに泣きわめいて歯ぎしりをすることになります。

天の国を理解させようとしたイエスは、古い伝承や日常の生活の有様を話題にして、たとえを語りました。そこから学んだ弟子も、すべての人々を包み込む天の国の現実から、新しいもの、すなわち神の働きを見いだすことができます。わたしたちもイエスの言葉に導かれるとき、あらゆる出来事に神の働きを見いだすことができます。見いだすことができれば、自らの過去や現在の体験によるたとえで、天の国を人々に伝えることができるはずです。

ソロモンの判断
The judgement of Solomon
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。