復活節第5主日 A年

第一朗読『使徒たちの宣教』

使徒言行録 6:1-7

「ギリシア語を話すユダヤ人」は、パレスチナ以外(異郷の地)で生まれ育った人ですから、割礼などの律法には消極的で、キリストへの信仰を重視する傾向がありました。しかし、「ヘブライ語を話すユダヤ人」は、キリストをユダヤ教の枠の中で理解しようとしており、律法の実行も重視していたのです。この信仰理解の相違が、食料分配の問題の背景にありました。

最初の殉教者となるステファノとともに名前が挙げられている7人は、ギリシア風の名前をもつ「ギリシア語を話すユダヤ人」です。この場面は、助祭の秘跡としての制定とされ、「祈って彼らの上に手を置く」という行為は、今も助祭・司祭の叙階式で継続されています。日本では、まだ助祭は多くありませんが、世界には何千人もの助祭がいます。彼らのために祈りましょう。

第二朗読『使徒ペトロの手紙』

一ペトロ 2:4-9

この手紙は、ローマ帝国による迫害が激しくなる90年代に書かれたとされ、異教徒の間で苦しめられる異邦人に向けられています。まわりの人々に同調すれば、今の苦しみからは逃れられるかもしれませんが、ペトロは、キリストのほかに救いの道はないと呼びかけます。そして、信仰によってわたしたちがどんなものになるかを教えます。その偉大さを、悟りましょう。

詩編では、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」(詩編118:22)の後、「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」と続いています。イエスの死と復活は、神の働きによる人間の理解を超えた出来事ですから、「信じる者」でなければ「つまずきの石」を越えることはできません。そして、イエスを「信じる者」は、自らもイエスによって「生きた石」に変えられ、用いられるのです。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 14:1-12

わたしたちキリスト者が信じるべき3つのことが書かれています。

まずひとつ目は、「あなたがたのために場所を用意しに(父のもとへ)行く」ということです。イエスの死は、「あなたがた」のためであり、「あなたがた」が神やイエスとともにいることができるようになるためなのです。

二つ目は、「(イエスは)道であり、真理であり、命である」ということです。イエスが示してくださる道は、命に至る真実(真理、愛)の道であり、救いの道なのです。

三つ目は、「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」ということです。イエスの不思議な業(わざ)は、すべてイエスのうちにあってイエスとともに働く神の力なのです。

これらのことを信じる人は、イエスの業をともに行う者となり、しかも、父のもとに行かれたイエスとともに「もっと大きな業を行うようになる」のです。

新しい週の始まりに、神の子として生きるための力と平和を、キリストの奉献であるごミサからいただくようにいたしましょう。

イエスと旅立つ弟子たち
Jesus and his disciples travelling into Galilee
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。