四旬節第1主日 A年

四旬節について

四旬節は、苦行よりも回心と恵みの季節です。何かを節制してつぐないの犠牲としてささげたり、大斎や小斎を行いますが、それは四旬節の終わりに、わたしたちが神により近い者になることが目的ですから、神に近づく手段にすぎません。

それぞれ各自が、この四旬節の間に、どういうことをして普段よりも神に近づこうか、神の子どもたちの姿に近づこうかと考えてみましょう。

灰の水曜日に来られなかった方は、この四旬節第1主日に、神の御心に適う四旬節を過ごす決心をしましょう。灰の水曜日に灰を受けた方は、そのときにたてた決心を新たにいたしましょう。

第一朗読『創世記』

創世記 2:7-9、3:1-7

聖書を読むと、神に創られたものは皆「良しとされた」と記されています。しかし、最初の時代から人々は悪を行い、神の計画を狂わせました。これがいわゆる原罪というものです。

アダムとエバが、それぞれ異なる二人の人間であろうと、最初の頃に生きていた多くの人々を指している抽象的な言い方であろうと、また最初の罪が神に禁じられた木の実を食べたことであろうと、それとも食べたのではなくその当時の人々が犯した多くの罪を言いあらわしているたとえ話であろうとも、どちらも人間が悪を行って全人類が神から離れてしまったという意味は変わりません。

神との関わりを捨て、自分を神のようにして善悪を決めるようになり、男女の関係も堕落します。今までは、裸でも恥ずかしくなかったのに、今は淫らな欲が起こって恥ずかしくなり、愛の関係の代わりに欲望と服従が起こります。

第二朗読『使徒パウロのローマの教会への手紙』

ローマ 5:12-19、または 5:12、17-19

聖パウロの言葉を通して、神と和解するように、わたしたちは求められています。今こそ、神の恵みを豊かにいただくときです。

福音朗読『マタイによる福音』

マタイ 4:1-11

世界の「すべての国々とその繁栄ぶり」を見ることが出来る場所は、地球上にはひとつもありません。もし、人を神殿の屋根の端に立たせたとすれば、エルサレムの人々が驚いたでしょう。ですから全部たとえ話のように解釈する人もいます。けれども、この悪魔の誘惑を事実であるかのようにキリストは感じたと解釈しなければいけません。

荒野での3つの誘惑は、肉の欲、名誉の欲、富の欲を代表するものです。わたしたちキリスト信者も受ける誘惑だと思われます。

信仰は、自分の楽のため(ここでは「パン」)だったり、困ったときの神頼み、または、名誉のためではいけません。悪いことのためだったら、悪魔に仕えることになってしまいます。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

悪魔を退けるイエス
Get thee hence Satan
William Brassey Hole (1900s)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。