年間第8主日 A年

第一朗読『イザヤの預言』

イザヤ 49:14-15

今から聞く神のみことばは、聖書の中で最も有難いことばのひとつです。 どれほど、わたしたちを愛してくださるかをわかるために、神は、ご自分を母親にたとえます。いや、良い母親よりも、わたしたちをもっと愛して下さるという、驚くべき神のメッセージです。

シオンはエルサレムの丘の名前ですが、神殿が建てられていたので、エルサレム全体をあらわす呼び名となりました。

第二朗読『使徒パウロのコリントの教会への手紙』

一コリント 4:1-5

教会の中で、何か役割を持っている人を、どう見るべきでしょうか? そのことについて、聖パウロが教えます。その教えに、いつでも従うように祈りましょう。

わたしたちが自分で「やましいところはない」と考えても、「裁くのは主」です。たとえ、他人が裁こうとも、「裁くのは主」です。自分ひとりのわずかな知識にとらわれず、他人の目を気にして心を乱さず、また、心の中でさえ他人を裁いたりせずに、神を悲しませない心でいましょう。

神は、「闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。」そして、「神の秘められた計画」は、人間的な評価では「働きがなくても、その信仰が義と認められます。」(ローマ4:5)というものです。

福音朗読『マタイによる福音』

マタイ 6:24-34

信じるということは、神の愛に信頼することです。わたしたちは、神の愛への信頼によって生きるときに、「思い悩む」必要がなくなるのです。お金の力や努力で何でも自分の思い通りにしようとしても限界がありますから、いつまでも「思い悩む」ことはなくならず、「思い悩む」ために生きているかのようになってしまいます。

神は、わたしたちに「必要なことをご存じ」です。ですから、わたしたちが日常生活の中で、ただ純粋に「神の国と神の義を求め」て生きるならば、いつか振り返ってみたときに「みな加えて与えられ」ていることに気づかされるはずです。

今回のごミサのテーマは、神を信じきるようにという、わたしたちへの神からの呼びかけです。この信頼を熱心に祈り求めましょう。

信じないことと信じ切れないことは、論理的には違いますが、実際には同じことになります。A子さんと結婚することを決心し切れない人は、その心の状態のままでいる限り、A子さんと結婚しなかったことと同じように、その結婚からいただく幸せを受けることができません。同様に、信じ切れない人は、信じない人と同じように、信仰から生まれる恵みを受けられないことになります。信仰がもたらす恵みは、信仰を持つまで完全にはわかりません。信仰を持たない人が信仰を外から見てもよくわからないというのは、結婚をしないうちに結婚のもたらすものがわからないのと同じことです。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

聖パウロ
Rublev Saint Paul
Andrej Rublev (1407)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。