ミサ朗読について
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
神は、預言者を通して、イスラエルの残り、すなわち苦しむ人々、貧しい人々、へりくだる人々に、励ましの言葉をお話しになります。そして、わたしたちにも、その言葉が与えられるように、そのために必要な心を、この朗読を通して聞かせてくださいます。
第1朗読の教えを、聖パウロは繰り返します。神は、神の前で誇ることがない人々(心の貧しい人々)を、特別にお選びになります。神による選びは、まったくの恵みであり、誇っている自分の力は意味のないものです。わたしたちは、選ばれるでしょうか。
わたしたちは、自分の思い(願望)のうちに生きる限り、自分を誇ってしまうことになります。しかし、自分を捨てて、神の恵みのうちに生きるならば、神を誇ることになります。
今回の福音朗読は、「山上の説教」の冒頭、たびたび「キリスト教の憲法」と呼ばれる真福八端(幸いなるかな...)の箇所です。この最も大事なことを知るだけではなく、悟ることが出来るよう、一生懸命に祈りましょう。
イエスは、救いのために必要な十戒を、文字通りだけではなくもっと完全に守るように教え(マタイ5:20-48)、神と人への愛によってまとめられることも教えてくださいました(マタイ22:34-40、ルカ10:25-28)。したがって、キリスト信者は、キリストの教えの立場から十戒を守らなければなりません。
今回の朗読箇所にある、本当の幸せに至る心を持っているならば、十戒を完全に実行していることになります。ですから、わたしたちは度々、自分が「心の貧しいもの」であるか、「柔和なもの」であるかなど、反省しなければなりません。
ヘブライ語のままに訳されているため、誤解や、わからない文章もあるかもしれません。もっと現代的な言い方の訳では次のようになるでしょう。
節 | 新共同訳 | バリョヌェボ訳 |
---|---|---|
3 | 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 | 欲張らない人(お金や地位や名声などを第一と思わない人、神に信頼する人)は、幸せである、天の国はその人たちのものである。 |
4 | 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 | 悲しんでいる人は、幸せである、神が慰めてくださるから。 |
5 | 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。 | 優しい人は、幸せである、その人たちは真の(聖)地、すなわち天の国を受け継ぐ。 |
6 | 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。 | 神の御前に正しい者であること(善、聖性)を熱望する人は、幸せである、神がその望みと憧れを満たしてくださる。 |
7 | 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。 | 思いやりのある人(他者を赦す人)は、幸せである、神もその人に心をかけてくださる。 |
8 | 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。 | 清い心をもつ人(二心のない人)は、幸せである、その人たちは神を見ることができる。 |
9 | 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。 | 平和のために働く人は、幸せである、その人たちは神によって神の子とされる。 |
10 | 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 | 神の御前に正しい者であること(善、聖性)のために苦しめられる人は、幸せである、天の国はその人たちのものである。 |
(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)
書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父
書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父
毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。