年間第4主日 C年(2016.1.31)

第一朗読『エレミヤの預言』

エレミヤ 1:4-5、17-19

神は、神に信頼するように呼びかけるとともに、預言者の使命、また、わたしたち皆の使命は、生まれる前から決まっていると告げます。ただ、その使命を果たせるかどうかは、すべて決まっているわけではなく、わたしたちと神の恵みとの協力によります。

「神は偉大な修理者」と言った人がいますが、わたしたちが間違った選択をしたとしても、神の計画がすべてダメになってしまうわけではなく、神は別の道を用意して導いてくださいます。

第二朗読『使徒パウロのコリントの教会への手紙』

一コリント 12:31~13:13、または 13:4-13

12章31節~13章3節まで、パウロはどんな徳(殉教・信仰・高額な寄付)も「愛」がなければ価値が無いということを驚くべき言葉で述べています。この「愛の讃歌」(典礼聖歌集381)とよばれる素晴らしい箇所を今回の朗読で聞きます。結婚(またその準備)の時にも読まれ歌われます。けれども、夫婦の間のことだけではありません。親子・友達・信者の間にも、この「愛」がなければなりません。

誰かが言ったように、愛の掟を実行することの 90% くらいは、他人の欠点や嫌なところを「忍耐」することです。「恨みを抱かない」ということです。時々、教会の問題は、「ねたまない」という「愛」をわたしたちがもっていないために起こります。または、「自慢」する気持ちに負けたり、自分の利益を求めてしまうからです。

この聖書の箇所にある「愛」をもちながら、家族や信者との関係について糾明すると非常によいと思います。これは、愛情とは違う本当の「愛」です。

福音朗読『ルカによる福音』

ルカ 4:21-30

主イエス・キリストのナザレの会堂での説教の場面です。「皆(会堂の人々)はイエスをほめ」ているのに、突然、やっぱりねたみの言葉が出てきます。こんな突然な変化は、ありえないということではありませんが、ある聖書学者は、ルカが二つの違ったナザレの訪問の話を一緒に書いたと説明します。昔からの説で、どちらが正しいか絶対とは言えません。とにかく、今まで自分と同じような立場だった村の若者(ユダヤ人にとっては30歳でも若者)のひとりとして見ていた人が、神から遣わされた預言者だと認めることは確かに簡単ではありません。教会や修道会の中で、今まで自分と同じような立場であったのに、突然、自分の目上であるから従うべきであるということに同じ難しさを感じることがあります。

たとえ話があります。自分が知っていた梅の木を使って、ある聖人の像を作りましたが、「祈ることができない」と言っていました。それは、「あなたは、梅の木として知っています。」ということです。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

故郷では歓迎されないイエス
The Life of Jesus of Nazareth
William Brassey Hole (1908)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。