ミサ朗読について
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
わたしと共に 目を覚ましていなさい
マタイ 26:38
神殿とエルサレムの再建は、紀元前538年から始まりますが、いろいろな妨げがあって、完成までに約100年かかりました。けれども、神殿や城壁などの再建だけではなく、共同体としての霊的な基礎を、聖書(特にモーセ五書)にしようとしていました。この朗読箇所は、その意味をあらわしています。
聖パウロはこの朗読で、教会、したがってわたしたちが、キリストとどれほど強く結ばれているか、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」と教えます。頭と体の他の部分がつながっているように、キリストと教会がつながっているということをパウロは強調します。ですから、教会を捨ててキリストは受け入れるというような話を時々聞くことがありますが、そういった態度は、体から頭を切り落すような大きな矛盾になります。
同時に、わたしたち一人ひとりが、教会の中に必要な使命と役割をもっています。「教会」と言うと、教皇・司教・司祭たちのようなものであると、たびたび信者は思いがちですが、そうではありません。誰もが教会の中に必要です。
ルカは、キリスト教が童話みたいなものではなくて、確実なものであるとわかるために、どれほど調べてから自分の福音書を書いたか、テオフィロに送る際に強調します。
「順序正しく書いて」と書いてありますが、けれどもその順序は、時間的な順序ではなく(現代と比べれば、あの時代、時間的な順序はそんなに大切とされていませんでした)、ルカは特別な順序で書いています。非常に簡単に言えば、ひとつのテーマについて、まとめて全部書いてあり、そのテーマについてはもう一度書かないという順序です。例えば、「見失った羊」(15:1)「無くした銀貨」(15:8)「放蕩息子」(15:11)のたとえ話をイエス様は続けて話されなかったと思われますが、ルカは神の憐れみに関することを続けて書いています。
今日の朗読は、ご覧の通り、1章の途中から4章の途中まで省かれていますが、キリストの公生活の初めのところです。
(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)
書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父
書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父
毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。