待降節第4主日 C年(2015.12.20)

第一朗読『ミカの預言』

ミカ 5:1-4a

メシア(救い主)に対する希望は、キリストが生まれる700年前くらいに、預言者イザヤと預言者ミカによってもう少し具体的に預言されます。ミカによって、生まれる場所はダビデと同じ小さな村とされ、なおさらメシアは新しくより素晴らしいダビデ(ダビデの子)であると暗喩されます。

聖書学者は、マタイの福音書(2:4~)にも引用されるこのミカの箇所により、キリストがベツレヘムに生まれるということを断言します。マリアは、割合に遠いガリラヤのナザレに住んでいたので、その預言が実現されるとは考えにくかったのですが、神のみことばには間違いがありません。

第二朗読『ヘブライ人への手紙』

ヘブライ 10:5-10

キリストの受肉と死の意味をあらわす聖書箇所です。旧約時代の罪のための「いけにえや献げもの」は、本当の罪のゆるしをもたらすことができないので、その代わりにキリストが御父の御心を行うためにおいでになり、ただ一度だけの御自分の体の受難を通して献げられて、わたしたちを聖なる者(罪が赦された者)としてくださったのです。

御ミサは、もう一度キリストの御受難を繰り返すとういうことではなく、そのいけにえが神秘的に行われるということです。

福音朗読『ルカによる福音』

ルカ 1:39-45

非常に注意すべきところは、マリアは聖霊の恵みをもたらすものとして、ここに描かれていることです。

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。…

ルカ 1:41-42

マリアは自分の御托身(妊娠)について何もおっしゃらなかったのに、エリザベトは聖霊によってはわかりました。こういうことは、主の奥義を自分が伝えるのではなくて「主こそ知らせる方である」というマリアの信頼を強めました。ただ、神の驚くべき秘跡によって、処女でありながら母であるということをヨセフに信じるように頼むのは、あまりにも大きすぎる注文で、マリアの優しさに合わなかったでしょう。しかし、それでだけではなくて、やはりエリザベトの場合と同じように、神の奥義を人間ではなくて神ご自身が知らせるべきと自覚なさったでしょう。

それから、マリアの幸せの原因は「信じた」からということです。時々、マリアはお告げを受けたあとで、信じるよりもただ見ていただけという人がいますが、しかしそうではありません。わたしたちと同じように、見えないことをマリアは信じたし、ヨセフの疑いの時や御受難の時に、それを信じるのは非常に難しかったでしょう。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

エリザベト訪問
Visitación de Rafael
Raphael (1517)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。