待降節第1主日 C年

待降節について

待降節の典礼は、2000年前頃のユダヤの国に神の子が来臨したということだけを記念するものではありません。まず、その記念によって神秘的にわたしたちの心の中にキリストが生まれておいでになります。次に、栄光のうちにもうひとつの来臨、世の終わりがあり、典礼では一緒にします。そして、わたしたちの死が、キリストのもうひとつの来臨です。その3つの来臨のために準備することが待降節の意味です。

第一朗読『エレミヤの預言』

エレミヤ 33:14-16

いろいろな来臨をいっしょにするひとつの例です。エレミヤは直接、ダビデの子孫の救い主が来られるということを預言します。バビロンからの解放は神さまのひとつの来臨であり、同時にキリストによるもっと素晴らしい来臨です。

福音書では、たびたびイエス様がダビデの子(子孫)と呼ばれますが、その理由は、他の似ている聖書箇所にあります。(マタイ21:9、ルカ20:41、マタイ22:42)

第二朗読『使徒パウロのテサロニケの教会への手紙』

1テサロニケ 3:12-4:2

パウロは、迫害のために無理やりテサロニケを離れなければなりませんでした。そこで、テサロニケの信者たちが愛の道を続けるように、あたたかい言葉の手紙によって勧めます。

朗読を通してこのような言葉を聞く時に、パウロとかイエス様が、わたしたちひとりひとりに話しかけられていると思う態度が無いと、典礼の意味がまだよくわかっていないことになります。

福音朗読『ルカによる福音』

ルカ 21:25-28、34-36

キリストが、ご自分の大いなる力と栄光をおびてこられる時、その御前に立つことができるように、いつも目を覚まして準備しなければなりません。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

フレスコ画イコン『復活』
Chora_Anastasis2.jpg
Chora Church - Fresco(14世紀)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。