年間第29主日 B年

第一朗読『イザヤの預言』

イザヤ 53:10-11

第一朗読と福音朗読は、キリストのご受難の意味について書かれています。ご受難のことは、これまで少なくとも3回、弟子たちに告げてありました。なぜその苦しみを受ける必要があるか、その意味を初めて「多くの人の身代金として自分の命を献げるため」とあかされます。

預言者イザヤの『主の僕(しもべ)の歌』の第四の歌は、それを見事に表しますが、第一朗読では、その歌の小さな部分だけですし、新共同訳の聖書の訳は時々不完全で、原文の方が表現豊かに説明されています。たとえば、「病に苦しむこの人」は、「困難に苦しむ人」という訳の方がもっと広い意味で原文に近くなります。また、「主の望まれること」は、「人類の救い」ということです。そして、「それを知って満足する」は、キリストが自分の苦しみの結果を見てお喜びになったというニュアンスが弱いです。とにかく、聖書を訳すためには、たびたび詩人の心が非常に必要ですが、日本語に訳すと失われてしまうところがあります。参考までに、他の訳を記します。

アロンソ・シェケル訳(ローマの聖書大学学長)
主は、彼が困難によって苦しむことをお望みになりました。

罪の償いとして命をささげる時に、末永く子孫を見る。

主の望むことは、彼の業によって成し遂げられる。

心の苦しみによって、わたしの僕は多くの人々を義とし、その人々の罪を負うだろう。
ドン・ボスコ訳
彼は、償いとしてわが身をささげることによって、末永く子孫をみるだろう。

神のみ旨は、彼によって実現する。

その心の試練の後、彼は光を見、それに満たされる。

わたしの正しい僕は、その苦しみによって、多くの人を義とし、その罪を自ら背負う。

第二朗読『ヘブライ人への手紙』

ヘブライ 4:14-16

第二朗読は、キリストのご受難と関係があります。わたしたちと同じように苦しみをお受けになったのは、わたしたちの苦しみをもっと深く憐れんでくださるためです。

福音朗読『マルコによる福音』

マルコ 10:35-45、 または 10:42-45

第一朗読 参照

福音朗読の教えは、42節以降ではっきり述べられますが、実行するのは難しいことです。神の国の中での偉大さは、普通の社会とはまったく違います。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。