年間第26主日 B年

第一朗読『民数記』

民数記 11:25-29

この朗読と福音朗読との関係は、両方とも、自分と近親者(この場合はモーセ)以外が同じ恵みをいただくことを嫌うということです。でも、教会の歴史と現代でも、時々、そのようなことがあり得ます。いただいた恵みをひとり占めにしたいと思う経験があると思います。それは、本当のキリストの弟子の心とは随分違う心です。

第二朗読『使徒ヤコブの手紙』

ヤコブ 5:1-6

これ以上に激しい箇所は、聖書に無いかもしれません。まず、同じようにルカ福音書の6章24節にある金持ちに対するキリストの言葉も、非常に激しいです。また、単に金持ちの人に対してというだけではなく、賃金をくれなかった金持ちに対する言葉です。しかしながら、現代の社会にも似ていることは多いのではないでしょうか。ニュースの中には、いろいろな形で人々を騙す姿が見えると思います。とにかく、お金に対して聖書全体に書かれていることを思い出して、誰でも「金持ちの心」を持つ危険があるということを深く反省しなければなりません。

簡単すぎるかも知れませんが、聖書による「金持ち」とは、たぶん次のことによってまとめられます。まず、お金が第一(一番大切なことはお金)と思い、それから、お金に信頼する(自分が信頼するのはお金)ということです。

福音朗読『マルコによる福音』

マルコ 9:38-43、45、47-48

ある人は間違って考えますが、「つまずかせる」と書いてあるのは、「手」や「目」ほど大事であるものが誘惑の機会になるという意味ではなく、本当の罪の原因となるものは、どんなことがあっても捨てるべきということです。難しいと思われるかも知れませんが常識のことです。足や腸などにガンがある時には、命を救うためにその部分を捨てるのは当たり前だと思われます。魂を救うためには、なおさら当然です。

「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」という言葉は、「わたしに味方しない者はわたしに敵対する。」(マタイ12:30)という言葉と反対に思えますが、しかしながらキリストの言葉を使っている人は、やはりキリストの味方です。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。