年間第18主日 B年(2015.8.2)

第一朗読『出エジプト記』

出エジプト 16:2-4、12-15

今日の福音朗読は「命のパン(ご聖体)の説教」の最初の奇跡です。いつものように第一朗読は福音朗読の出来事に似ている旧約時代の話です。神は、モーセを通して、荒れ野でイスラエルの人々に奇跡的な食べ物を与えてくださいます。「マナ」のことは、旧約の中で非常に大事な出来事です。ユダヤ人の信仰を強めるために、力になった出来事です。それについて、いろいろな質問と問題がありますが、それらは後にして、中心的なことは、神の助けに対する信頼と言うことです。この朗読を聞きながら、神の助けに対する信頼を切に願いましょう。

第二朗読『使徒パウロのエフェソの教会への手紙』

エフェソ 4:17、20-24

ある罪をなぜ犯したかの弁明として、たびたび「誰でもそうしている」と言う信者もいます。パウロは、その考え方に負けないように注意します。キリスト信者は、一方では普通の人と同じ生活をしなければなりません。けれども、ある点では、信者でない人とはまったく違うものにならなければなりません。つまり、私たちの行いの基準は、単に社会の基準ではなく、キリストの教えでなければなりません。そうすることによって、他の人に嫌われることがあったとしても、それが私たちの使命の部分であると強く信じなければなりません。

福音朗読『ヨハネによる福音』

ヨハネ 6:24-35

パンを増やす奇跡の意味を、あまりにも物質的に理解したユダヤ人に、キリストはそれをまず「しるし」として受け入れるように勧めます。つまり、永遠の命に至る食べ物を求めるようにとおっしゃいます。それは、イエス様が与えてくださいます。しかしながらユダヤ人は、モーセが与えた「マナ」と比べて、先日いただいたパンは天からくだったものではないとして軽視します。だから、キリストを信じる理由にはならないと思っていました。キリストは答えて、本当の天のパンは命(永遠)を与えるもので、ご自分であると強調なさいます。

今日の朗読は、ここで終わりますが、どういう風にキリストが命のパンであるのかについては、来週の朗読に続きます。

キリストを信じる理由は、ひとつの意味深い例えで、イエス様がお述べになります。それは、「認証」されているということです。私たちが誰かの手紙などいただいて、印鑑が押されているなら、その印鑑は持ち主しか使えないため、その人からのものと信じます。奇跡は、神様の印鑑のようなものです。神様以外に、その印鑑を使うことはできません。特に先週の朗読では、キリストはパンを増やす奇跡を行いましたが、その力は神様から来るものと言うことが確かになります。

命のパン(ご聖体)の説教

ヨハネ 6

日曜日の福音書の朗読は、3年周期に分かれています。A年にはマタイ、B年にはマルコ、C年にはルカの福音書が年間の主日(普通の日曜日)に読まれます。ヨハネの福音書は、特別な時の日曜日、すなわち待降節とクリスマスおよび四旬節と復活節に読まれます。しかし、マルコの福音書は一番短いので、1年間のすべての年間の主日(普通の日曜日)のために足りませんから、途中の年間第17主日から年間第21主日までヨハネの福音書の6章が入れられます。御ミサの時にあまり長くならないように5回に分けて朗読されますが、ヨハネの福音書の6章は、ひとつのテーマをもった話ですから、全部通して見る方が非常に役に立ちます。テーマは、命のパン(ご聖体)の約束です。

まず、使徒たちの信仰を強めるために、キリストは二つの奇跡をなさいます。つまり、パンを増やす奇跡と、海の上を歩くという奇跡です。ご聖体について、私たちは見えないことを信じるということだけではなく、見ることに反して信じるというわけですから、非常に慎重に少しずつ、キリストはご聖体の事を約束なさいます。

まず、[1] 先日与えてくださったパンよりも、もっと素晴らしいパン、永遠の命を与えるパンがあるということを教えます(6:27)。そして、[2] そのパンがキリストご自身であるということです(6:35)。ここまでだったら、たとえとして解釈することができますが、[3] キリストがすすんで自分の肉は真の食べ物であって、それを食べなければなりませんとおっしゃいます(6:51)。実際にはより強く「喰う」という言葉を使われました。これを聞いて驚いた群衆に、たとえであるということを言わずに、パンの形の中に自分の姿を隠してなどの説明を加えなくて、かえってもっとユダヤ人にとって嫌なこと、 [4] キリストの血を飲まなければならないとお加えになります(動物の血を飲むことも禁じられていました)。[5] 結局、肉と血という言葉がどういう意味であるか強調するためにキリストは、「わたしを食べる者」(6:57)とおっしゃいます。大勢の人々はこれを聞いて、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」と言います(6:60)。弟子の中にも、このことを聞いて離れるものもいました。キリストは少しも説明されずに、素晴らしい信仰宣言をペトロの口からもらいます。というのは、ペトロは他の人と同じようにまったく意味はわかっていないけれど、キリストに信頼します。これは信仰です。わかったからではなくて、キリストを信頼するから、本当であり事実であり真実であると思います。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

ヨハネ 6:68-69

このキリストを拝領する結果として、キリストは二つのことを特別に強調します。ひとつ目は「復活」(6:54)のためです。二つ目は、ご聖体拝領によってキリストは私たちのうちに生き、また私たちがキリストによって生きるということです。(6:57-58)

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。