復活節第3主日 B年(2015.4.19)

第一朗読『使徒たちの宣教』

使徒言行録 3:13-15、17-19

キリストの死とご復活は、神の愛が私たちに救いをもたらすということであり、旧約聖書でも預言されていました。結局、十字架の酷い死刑を受けた救い主を信じることは、その時の人々にとっても、現代の私たちにとっても、簡単にできることではありません。ですから、使徒たちの最初の宣教は、いつでもキリストの死とご復活から始まります。

『聖書と典礼』の下段に書いてありますが、ここでも、また他の新約聖書の中にも書かれているように、イエスは主(御父)の僕(しもべ)と呼ばれます。使徒たちは、キリストの御受難を説明するために、イザヤ書にある『主の僕の歌』にもとづいて、その苦しみが私たちの救いになることを強調します。
ぜひとも、イザヤ書の4番目の『主の僕の歌』52:13~53:12もお読みください。
イザヤ書の『主の僕の歌』の箇所は、1番目42:1-3、2番目49:1-6、3番目50:4-7(枝の主日に読まれました)、4番目52:13~53:12です。

第二朗読『使徒ヨハネの手紙』

一ヨハネ 2:1-5a

このヨハネの言葉は、私たちに大きな信頼と希望を与えるはずです。キリストは今、私たちの裁判官ではなく、私たちの御父の御前に弁護者です。それはいつでも、けれども特に、ごミサの時に実現されます。

福音朗読『ルカによる福音』

ルカ 24:35-48

今日は、ルカの聖福音書による、ご復活の夜に10人の使徒に現わされた、主イエスの出現を聞きます。気を付けることは、イエス様が復活して、栄光の体として(変容の時ように)現れるのではなく、公生活の時のままに現わされたことです。なぜなら、もし光り輝いた体をもって現れたとすれば、やはり使徒たちは幽霊のように考えがちだったでしょう。公生活の3年間と同じイエスであるということがわかるために、肉と骨のある体に触れるようイエス様はうながします。言うまでもなく、復活なさったキリストは、食べることは必要ありません。けれども、本当の体であることを納得させるために、この驚くべき願い「ここに何か食べ物があるか」と言われて、皆の前で食べられました。

(文:キリストバル・バリョヌェボ神父)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。