年間第33主日 A年(2017.11.19)

第一朗読『箴言』

箴言 31:10-13、19-20、30-31

「有能な」という言葉は、「強い」「しっかりした」「賢い」などにも翻訳でき、理想的な妻をあらわしています。朗読では省かれていますが、朝は最初に起き、夜は遅くまで働き、貧しい人々を助け、一族皆のために冬のあたたかい服を作ります(箴言31:10-31)。

当時の具体的な例で、一家を切り盛りする有能な妻の姿が賞賛をもって描かれ、「主を畏れる女」としてたたえられています。「主を畏れる」とは、神の前で自らの限界を知る人間の、神に向かう心を意味しますが、円満な家庭生活にも、神との交わりが必要なのです。(参照:先週の朗読解説

有能な妻は、知恵の象徴とも考えられます。人が持つべき「妻」は、神からの知恵であり、その「有能な妻」が人に幸いをもたらすのです。

第二朗読『使徒パウロのテサロニケの教会への手紙』

一テサロニケ 5:1-6

「主の日」は、「暗闇の中にいる」人々にとって、不意に襲いかかる裁きの日となります。しかし、イエスを信じる者(光の子、昼の子)、つまり備えのある者にとっては、救いの日なのです。

「眠っていない」とは、神の呼びかけに無感覚になっていないということです。わたしたちキリスト者は、すでに夜明けを迎えて眠りから覚めているはずです。それ以前のこの世的な生き方に後戻りしないように、目を覚ましていなければなりません。

福音朗読『マタイによる福音』

マタイ 25:14-30、または25:14-15、19-21

イエスの復活と再臨の間を生きる者のあり方を教えています。

当時、穴を掘って埋めることは、もっとも安全な方法と考えられており、預かったものを埋めて隠せば、もし盗まれても賠償する義務はなかったそうです。 一タラントンは、6000日分の賃金ですから、五タラントンでは生涯賃金を超える額になります。それほどの額を任せるほど、主人は僕たちを信頼していたということです。

主人が帰ってきたとき、五タラントン任された僕と二タラントン任された僕に対する主人の言葉は、まったく同じです。つまり、主人にとって、儲けた金額の差は問題ではありません。主人の信頼を理解して、その信頼に応えた二人の僕は、どちらも主人からますます信頼される「忠実な良い僕」なのです。

一タラントン任された僕が「怠け者の悪い僕」とされたのも、儲けがなかったからではありません。主人の信頼を理解できず、主人を「厳しい方」として恐れていたからです。この僕の言葉の中には「お預けになりました」がありません。この僕にとって、預けられたお金は「主人のもの」でしかなかったのです。

神からいただいた恵みを周りにも広げていくなら、さらに恵みは豊かになります。もし隠しておくなら、神の望みを裏切ってしまうことになってしまいます。神が求めているのは、儲けではなく、神の働きに対する信頼なのです。そして、神の信頼にすがるとき、任されたものが大きくても恐れずに働くことができるのです。

多くの動物のいる聖母子
Durer - madonna degli animali
Albrecht Dürer (1503)

参考文献

書籍『キリストへの新しい道』
著:キリストバル・バリョヌェボ神父

書籍『主日の聖書解説』
著:雨宮慧神父

冊子『聖書と典礼』について

毎週 主日のミサ で使われる冊子で、ミサで朗読される聖書箇所も書かれています。オリエンス宗教研究所 から発行されており、数週先のものまで各教会に置いてありますので、お近くのカトリック教会にてお求めください。

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