片柳 弘史 神父(主任司祭)

カトリック・イエズス会司祭。1971年埼玉県、上尾市生まれ。1994年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1994-95年カルカッタ、マザー・テレサの施設でボランティア。マザーの勧めで司祭への道を志す。1998年イエズス会入会。2008年司祭叙階。2008-2014年、六甲教会助任司祭。2014年~宇部・北若山・高千帆教会主任司祭。高千帆小百合幼稚園、小野田小百合幼稚園、西宇部小百合幼稚園講師。美祢社会復帰促進センター教誨師。ラジオ『心のともしび』執筆者。

小さなことに、大きな愛を。

著作

主著
『世界で一番たいせつなあなたへ~マザー・テレサからの贈り物』、『あなたのままで輝いて~マザー・テレサが教えてくれたこと』、『日めくり超訳マザー・テレサ~幸せはいつも、ささやかなことの中に』、『ほんとうの自分になるために~マザー・テレサに導かれて』(以上PHP研究所)、『カルカッタ日記~マザー・テレサに出会って』、『祈りへの旅立ち~マザー・テレサに導かれて』、『祈るように生きる~マザー・テレサと共に』(以上ドン・ボスコ社)、『マザー・テレサは生きている~カルカッタからの報告』(教友社)
写真/編訳
『愛する子どもたちへ~マザー・テレサの遺言』、『わたしはあなたを忘れない~マザー・テレサのこころ』、『聖なる者となりなさい~マザー・テレサの生き方』(以上ドン・ボスコ社)、"MY DEAR CHILDREN~Mother Teresa's Last message" Pulist Press, N.Y.、"MOTHER TERESA~Walking with Her Saints"Paulist Press, N.Y.
共著
『神に呼ばれて~召命から献身へ』、『そうか!なるほど!キリスト教』(以上、日本基督教団出版局)、『わたしはマザーに会った』(女子パウロ会)
『マザー・テレサ書簡集』、『フランシスコ教皇さまへ』(いずれもドン・ボスコ社)

三喜田 虎太 神父(協力司祭)

カトリック・イエズス会司祭。霊名イサク。長野県出身。1962年叙階。

神は愛です。

叙階記念カードのことば
私はなぜイエズスの会の司祭になれたか

私の母は松本の聖公会というプロテスタントの教会の信者で、父は天理教の家から母の信仰に入りました。私の洗礼は長男として生まれたときでした。洗礼名はイサク。父がアブラハムでしたから。戦争中でしたから徴兵の延期のために理科を選びましたが、苦手でした。名大で電気が分かりませんでした。大学生の時予約なしに訪ねた牧師さんがお留守で、白壁町の電車の停留所に電車を待っていました。目の前にカトリック主税町教会があったので、入っていって黒いスータンを着たドイツ人の神父さんと会って話題を宗教戦争にしましたが、神父さんがそれはもう止めにしましょうと言ってくれて、岩下壮一神父のカトリックの信仰という本を借りました。それでカトリックもいいものだと分かりました。就職試験にどこも落ちるので松本に帰り、更に聖公会もちゃんと行きながらカトリックでフルトンシーンの本など伊藤神父から貸してもらって読んで、悩んだ挙句松本聖公会の主任司祭にカトリックになりたいと言いました。余りよく叱られたので少し気が楽になってとうとう改宗してしまいました。

さてどうして司祭になれたか。私は改宗式でしたが私と一緒に受洗した青年が私にいい本だといって貸してくれた本が「幼きイエズスのテレジアの自叙伝」でした。それの、洗濯していたとき水を引っ掛けられても我慢したというところで私も感激して、大学浪人でしたから、主任司祭に私も修道者になりたいと言いました。彼が私に司祭になる気はないかといわれ、なれたらなりたいと言いました。修道会要覧という本を貸してくれて研究しなさいと言われましたが、男子の修道会も沢山あって「どれがいいか分かりません」と言いました。伊藤主任神父が私にイエズス会を紹介してくれました。上智大学にいた今はなきフィステル管区長に会い、上智を受験し、受かってラテン語や哲学史などを勉強し、広島長束のイエズス会の修練院に入り二年の修練を受け、上智で再び今度はラテン語で哲学と神学を勉強して司祭になれました。1962年、52年前です。私が長束に行く時、両親をパリミッションの神父さんに頼みましたら、両親はカトリックに改宗しました。両親がいないと私もいないので不思議な気持ちです。

池尻 廣幸 神父(協力司祭)

カトリック・イエズス会司祭。霊名ドメニコ・サビオ。1942年3月31日生まれ。広島県出身。高校時代、イエズス会の修練者が、教会に日曜日ごとに教えに来てくれ、修練院にも連れて行ってくれたりした体験を通して神父になる道を選ぶ。1972年叙階。

イグナチオ・オレギ 神父(協力司祭)

カトリック・イエズス会司祭。霊名イグナチオ。1930年生まれ。スペイン・バスク地方出身。1983年叙階。母親の兄弟3人がシスター、3人が司祭という環境の中で育つ。ブラザーとして来日、鎌倉の栄光学園で、子供たちと一緒に部活動をしていた時、洗礼を頼まれたことがあり、神父としての道を選ぶ。